データが消えても残るものがあることを大切にする

この記事は smasato ひとり Advent Calendar 2021 5日目の記事です。

自分の大切にしているものごとに共通することに、データが消えても残る何かがあることがあると思う。

何をするにしてもスマホやパソコンが関わるようになってきている。大学の授業を受けるにしてもパソコンがなければ何もできない。 スマホやパソコン自体のストレージでは、自分の生み出したデータがインターネット上のサーバに保存されることも多い。 そのデータはかなり安全に保管されているとはいっても失われる可能性はゼロではない。

だから、そのデータが消えたときに全ての価値がなくなってしまうようなことに重きをおきたくない。それだけでなく、そもそも本質的価値がデータにしかないことに時間を使うことにむなしさを感じる。

具体例をあげれば、自分はゲームを全くしていない。例外としてリングフィットとピクミン ブルームはあるが。 極論を言えば、ゲームのセーブデータが消えたあとに残るものはほとんどないと思う。遊んでいるときの体験がゲームの価値だといわれればそれまでだが。 ゲーム上でいくら強くなろうと現実世界での自分は全く強くなっていないし、そのゲームの操作にいくら習熟しようとそのゲーム(かそれに類するゲーム)でしか使えない。だからゲームのセーブデータが消えたときに残るものはない。

リングフィットではゲーム上でのレベルアップは多少は現実世界の自分自身へもフィードバックがある。ピクミン ブルームはデータが消えてもそのために運動をしたことによる体への影響は失われない。

本質的価値がデータにしかなく、現実世界の自分自身へ何の変化を与えないものごとに限りある時間を使うより、自分自身の成長やそれ自体がなくなっても何か残るものがあることに時間を使っていきたい。