就活状況 中間メモ

2021年9月末ぐらいからエンジニアとして就活をはじめてからいろいろ心境の変化などがあったのメモしておきます。

中間メモと言いつつ、現状の進捗状況が中間ではない気もします。

基本的にエントリーしている企業は、サポーターズのイベント経由とレバテック ルーキーの紹介がほとんどです。これらのサービスの善し悪しは今の段階では明言できないです。

就活をはじめるまでは自分の休学・留年の経験がネガティブに影響するのではないかとだいぶ不安に思っていました。ですが、今のところネガティブには影響していないような印象です。 面接で休学について質問されることはありましたが、そこではごまかさず、理由を答えていました(それまで単位が取れなかったので勉強をするため)。

今のところの就活の軸はその会社でどれぐらいの成長を自分ができそうか、やりたいことがありそうかという感じです。給与・福利厚生は(今のところ)あまり重視していません。

Google カレンダーで予定のパズルをする日々です。

授業で質問できない大学生

大学3、4年次対象の対面授業で思ったこと。

20~30人ほどが講堂で授業を受けているにもかかわらず、質問時間になかなか手が挙がらない。 そのとき、司会の教員が「恥ずかしくて質問できないかな?」というようなことを言った。

自分の感覚ではとてもバカにされているような気持ちになったが、他の人はそう思わないのだろうか。 そもそも、こんなことを言ったところで質問者が増えるとは思えないが。

これまで大学で授業を受けてきて、ほとんどの授業で質問は出ない。 それは質問が出やすい環境づくりをしていない教員の責任も多少あるだろうが、学生自身の意識の問題でもあると思う。

就職活動をすれば面接で逆質問を求められることがあるだろうし、就職してからも会議で質問を求められることもあるだろう。質問をするスキルは今後必要不可欠になってくるはずだが、大学3,4年生になっても「恥ずかしくて」質問ができないなんてことがあっていいのか。恥ずかしくて質問できない人はいつになったら恥ずかしくなくなるのだろうか。

この授業に対して大して興味がないのかもしれないが、質問待ちの沈黙は気まずいし、質問される側の人にも対しても質問が出ないのは失礼とも思える。興味がなくても当たり障りのない質問はできたほうがいい。 質問をするスキルの上位スキルに「そこまで興味はないけど場を繋ぐための質問をする」スキルがある気がする。

なぜ質問ができないのかはその人しかわからないが、その理由を教員に「恥ずかしいから」と推測されてしまうのは「なんだかなぁ」と思った。

他人に自分のモチベーションを左右させない

日常生活を送っていれば、何かしら萎える情報を目にしたり言われたりすることがある。 (直接的ではないにしろ)自分への否定や批判を見聞きすれば落ち込むこともあるかもしれない。

そういった場面で素直に落ち込んでしまうのは他人にモチベーションをコントロールされている。その時に、「あんなことを言われたら落ち込む」と自分の落ち込みを相手の責任にもできる。

しかし、その人から言われたことに対して、落ち込む以外にも無視するとか、ひとまず反応を保留するといった行動も選択できるはずである。落ち込むという行動を選択したのは相手ではなく自分なのだ。

相手が自分を嫌な気持ちさせようとしていたら落ち込んでしまっては思うつぼになってしまう。そんな意図の情報は無視をしてもいい。

こどもであれば自分のモチベーションをコントロールするのは難しいだろうが、ある程度の大人になったのなら自分のモチベーションには自分で責任を持たなければいけないと思う。

それでも落ち込むときには、「自分はこれについて落ち込む行動を選択した」と自覚をすればそんなに落ち込まずにすむかもしれない。

むかしの記事ははずかしい

このブログよりも前につくったブログの記事を公開したままにしている。

blog.smasato.net

今読めば、「そうじゃないだろ」と思ったりはずかしい気持ちになることを書いている気がする(読んでないのでわからない)が消していない。

むかしの自分の考えに100%同意できるようになったときというのは成長が止まっていると思う。

何かしらはずかしいとか、違うなと感じるのはその時から成長しているからだと思うことにしている。

今の自分があるのは過去の自分があるからで、それを消して今の自分がすべてと言いたくない。 むかしにとんちんかんなことを言っていたことを含めて自分だから仕方ない。

有名人になると過去の発言を掘り起こされて時々炎上しているが、私はそんなに有名人はではないので今のところは残しておくことにする。

リングフィットを継続するためマインドセット

2020年末から毎日か欠かさずリングフィットをしている。 そう言うとほとんどの人から「すごいね」と言われるが、あまりすごいことをしている感覚はない。

たぶん、「毎日リングフィットをやる」という以上に目標を具体的にしていないのがポイントではないかと思う。 この目標をより具体的しようと思えば以下のようにもできる。

  • 毎日リングフィットを「30分」やる
  • 毎日リングフィットを「19時に」やる

このような具体化をすることで達成可能性が上がる目標はある。例えば「体重を減らす」と目標を決めただけでは大した結果を得られないだろう。

しかし、「継続すること」を第一に考えると、このような具体化は失敗の可能性を上げてしまう。どうしても30分の時間を確保できないとか、19時に外せない予定があるときにこの目標は達成できなくなる。

あえて「リングフィットをやる」だけの目標にすると、コロナワクチンの副反応でつらくても短時間で済ませたり、予定がいっぱいでも寝る前に少しだけやれば目標の達成を継続できる。

継続が重要な目標は抽象的なままにとどめておくのが大事なのかもしれない。

年齢が上がるにつれてツイートが減る説 その2

この前 年齢が上がるにつれてツイートが減る説 という記事を書いたけど、別のツイート減少の可能性を思い至った。

以前の説は

  • Twitterに使う時間がない
  • ツイートできることがない

という原因を考えていた。

自分のツイートしたいときの気持ちを考えてみると、そのツイートを雑談として誰かに話したりSlackとかLINEで誰かに言えたりすれば別にツイートしなくてもいいような気がする。

つまり、年齢が上がるにつれて、そういった「つぶやき」的なことの話し相手が固定化されていった結果、ツイートが減るのかもしれないと思った。話す手段は直接かもしれないし、LINEとかDiscordとかいろいろなものが考えられる。

コロナ禍でオンライン授業中心になったりして、ひとりでいる時間が多くなっている気がする。そのときに思いついたつぶやき的な文章をツイートするのはなんだかはばかられるのでどこにも出さずにいたけど、やっぱりどこかに書いておきたいのでこのブログがつくられたのでした。